弾き語りを見て思ったこと~2

前回、弾き語りを見て一人で世界を作り出すというこについて書きましたが、それについて更に考えたことを書いてみたいと思います。

自分一人の世界の中で自分にとって気持ちの良いものだけに囲まれるということは、本人にとっては気持ちのいいことだけれど聞き手にとってそれは必ずしも喜ばしいことではないのではないか?

 と、いうことはそれは作曲という行為にも当てはまるのではないか?と思いました。

 作曲というのは孤独な自慰行為に陥りがちです。ほかの作家さんたちはわかりませんが少なくともじぶんはそうです。

 自慰行為が少々過激な表現ならば思い込みと言い換えてもいいでしょう。創作している自分にとって必ずしも気持ちのいいものではなかったとしても、今現在創作中のその音楽世界にとって必要な素材が発見されてしまうことは多々あります。その時に自らの思い込みにとらわれずにその必要な素材を取り上げる勇気が絶対に必要となります。

 自分の世界ともう一つの自分の中の他者の世界が存在し、そしてそれは一人きりで音楽を作り上げていく弾き語りと似ています。                                    一見、孤独な作業に見える弾き語りと作曲ですが、実は複数の自分とのジャムセッションの場なのです。

・・・・と、思いました。