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与野シャインにて演奏決定

2月28日、横谷基トリオのベーシストとして与野シャインでの演奏が決まりました。

年に一回(笑)くらいしか演奏をしないのでこの貴重な(笑)(笑)機会を逃さずに是非ご来場下さいませ。

オープン19時、スタート19時半。

チャージ3000円のワンドリンク付きです。

ベースとはそもそも・・・

そもそもベースって何でしょうか?

以前、音楽教室でデモ演奏をした時に聴きに来た方達にアンケートをとりましたら、ベースに関する記述が一つも無くて軽くショックを受けたことがあります。
でも考えてみれば自分もこの楽器と出会うまではギターの後ろでなんかやってるミュージシャンのことなんて考えたことが無かったです。
仕方のない事かもしれませんし、君の力量の所為だと言われれば返す言葉も無いのですが・・・。

しかし、音楽を演奏したことのない人達はベース抜きの音楽に接する機会がほとんど無いのではないかと思われます。
ということは、同時にこの楽器の持つ魅力と破壊力に気づく機会も無いのではないかと・・・。

縁の下の何とやらとはよく言われる言葉なんですが、演奏に触れたことの全く無い人の耳にも確実にこの楽器の音は届いてるはずなんです。
ただ、他にたくさん鳴っている音の中からベース音のみを聴きだすにはある程度慣れが必要なので、なかなか理解はされづらいかな・・・。

でも逆に少しでも演奏に触れたことのある人達にとっては無くてはならないものとなります。
絶対になります。

確かにあのアンケート結果は多少不本意なものではありましたがそれでも続ける価値のある楽器です。
自分には。


強拍と弱拍 2

さてと、また強拍と弱拍についてです。


一般に4分の4拍子ならば強拍ー弱拍ー強拍ー弱拍、と相場が決まっています。

ただ、これってずれることが多々あります。

例えば、4拍目で次の小節とタイで繋がって(こういうの文章で説明するのって大変)一拍目の音が前の音と繋がったら、二拍目が強拍に感じませんか?


感じない?

あ、そうですか。スミマセン……


まあこういうのは非常に主観的な感覚なんで一般論で説明は出来ないのでしょう。


で、これを強拍に取るか弱拍と取るかの良し悪しを論じたいのではなくて、こういったリズムの何処をポイントとして捉えるか?

を書きたいのですね。


自分は(あくまでも自分は)何処に強拍があろうが無かろうが、音の無い場所(弾いていない、またはレガートで延ばしているとき)を強く捉えます。


音がある場所(弾いている時)ならば気にしなくてもある程度リズムのポイントを捉えているものです。


危ないのはより静寂に近づいた時。

弾いていない時。


気持ちが緩みます。

で、リズムも緩みます。


音楽っていうのはたくさんの要素で出来上がっていますが、静寂と騒音もその一つです。

譜面で言えば休符と実音。


音楽の上でそれは確実に等しく並ぶことになります。

音が無いからと気持ちが緩んでいいわけではない。

まだ音楽は続いているのだから。


でも弾いていない瞬間は気が緩みがちなので、そこはしっかりと押さえます!


音楽が終わるまで。


リソウのリズム

理想のリズム取り、について書いてみたいと思います。

音楽を演奏するということは至ってシンプルな行動なんですがそれには様々な要素が絡んできます。
歌、ハーモニー、呼吸、心など。
まあ、心は置いておいて自分はベース弾きなのかなり重要な要素となってくるのがリズムなわけです。

演奏中に譜面をロストして焦れば走り、難しいフレーズではモタり、なかなか安定感のあるリズムというものは作りづらい。
自分にとって理想のリズムとは心理状態と関わらないリズムのことです。

どんなに表面上焦ることがあっても、例え演奏中に関東大震災が起きても彗星が地球に激突しようとも揺れないリズム。
そういう人に私はなりたい。

でも、演奏中の出音は揺れているんですよ。
でも心の中はひたすらに静まっている。

武道とかを極めれば出来ますかね?
うーん、
May the force be with you!
かな?



強拍と弱拍 またはジャンルと地域 1

強拍と弱拍、について書いてみようかと思います。
ではまずリズムとは何か?という話になりますよね、やっぱり。

リズムとは〈一定の時間内で行う反復運動〉とここでは定義しまして、一定の時間内とはリアルタイムで苦もなく記憶できる長さをいいます。反復運動と定義した以上忘れてしまっては意味がないですしね。
で、その反復運動の一つ一つが色々な長さや強さや色をもちます。そこにいわゆる〈ノリ〉が生まれる。
自分はそう思っています。
うん、いいかな?こんなもので・・・。
その色々な長さや強さや色の反復物質を更にリズムにはめ込むことで強拍と弱拍が生まれる。

で、本題です。
仮に譜面上で4分の4拍子として、強拍ー弱拍ー強拍ー弱拍が1-2-3-4なのか、弱拍ー強拍ー弱拍ー強拍が1-2-3-4なのか?
4分の3だったら強拍ー弱拍ー弱拍なのか、弱拍ー弱拍ー強拍なのか?
もしも8分の8だったら強拍ー弱拍ー弱拍ー弱拍ー強拍ー弱拍ー弱拍ー弱拍なのか、弱拍ー弱拍ー弱拍ー強拍ー弱拍ー弱拍ー弱拍ー強拍なのか?それとも弱拍ー強拍ー弱拍ー強拍ー弱拍ー強拍ー弱拍ー強拍なのか?・・・。
キリがないです。

ジャンルとか地域とかで違うらしいんでそう言われればそうなんですが、まあそこはブログなのでごちゃごちゃと考えるわけです(笑)

で、結果から言いますとどっちでも良いんじゃないかな。
随分大雑把な結論ですが、考えたことがありまして(ブログですから)

ネットの発達によってどこの国の音楽でも気軽に聞けるようになった(気がします)。それによって本格的な音楽をコピー出来るようになり、ジャンルや地域の壁を越えることが可能になった。もちろんそのためには個人のそうとうな努力が必要なんですが。
でも自分は昔の人間ですから、昔の情報不足によって引き起こされていた勘違い(もしくは意図的な)が懐かしいわけです。
星のフラメンコとか・・・。
あれって多分本場の人が聴いたらびっくりするんじゃないかな。
あと、ジョンレノンの演奏したレゲエとか。
一様にいわゆる本物とは言えない音になってます。

間違いと言ってしまえばそれまでなんですが、でもその勘違いや間違いが様々な新しさを創造してきたことは否めない。その勘違いや間違いを喚起してきたのが正に情報不足だったんではないかと思います。
みんながみんな本格派になっちゃったらつまんなくないですか?

と、いうことで強拍ー弱拍問題の結論です。
どっちでもいい。

終わり。

うーん、もうちょっと続けましょう。










運指について

運指について考えてみました。
ジャズなどでは指クセがあって自分のやり易いフレーズを選択する事が出来るのですが、クラシックなど自分の手によって生み出されたものではないフレーズを弾く場合、一度立ち止まって指板と相談してみるととても良い解決策が見出される事があります。
まあ、どうやっても見出せない場合もあるのですが・・・。
大事なのは闇雲に自分の指クセにそのフレーズを沿わせようとしない事です。
そのフレーズには四本、五本または六本の四度チューニングの弦にとって、または自分の指の長さ、指のクセ、身体能力にとって、最適な弾き方が必ずやあるはず、という確信をもつことです。
それでも見出せない事もあるんですが・・・。
あとは弦の音色の問題もありますね。
開放弦と指で押さえた弦とでは音が違います。それにコントラバスなど弓で音を表現する事が多い場合ヴィブラートなどの問題も出てきますので、ひたすら弾き易ければ良いという問題でもない。
色々な方法を試してみるしかないですよね。
クラシックを弾くようになって一番煩わしかったのはそこでした。
自分の中には存在しない歌を歌わなきゃあならない事。
でも、必ずそれは自分の歌となって自分のポケットに入ってきますので無駄にはなりません。
まあ、音楽家にとって無駄なものなど存在しませんけどね。


最近の練習

最近、毎日ちゃんと練習するようになりました。
そんな当たり前な・・・と思われるかもしれませんが、毎日10分でも集中した練習を行うということはなかなかに大変なことです。
毎日ちゃんと練習を始めてみて気付いたことは、要するに練習とは記憶の保持なのだなということ。
これまたそんな当たり前な・・・と思われるかもしれません。
自分は今まで練習したらしただけ効果が積み上がって行くものだと考えていました。でも練習の記憶・・・脳内の記憶(例えば曲の記憶)、身体的な記憶(例えば運指)、良い演奏のイメージなどは日々薄れていくんですね。
練習とはその記憶をしっかりと保持して体内に固定(固定することが良いことなのか悪いことなのかはまだ結論が出ませんが)するための行為なんですね。やっと気づく事が出来ました。
遅い!!!
でも自分のペースっておそらくこんなものであって、無理にペースを上げようとしても結局、記憶の保持と固定が出来ない。
しょうがないです。自分はこんなものなんですね。
今、家庭内の事情で演奏活動はおろかセッションにさえも顔を出せない状況が続いています。でもなんとかかんとか続けないとね。
今月末から室内楽のグループに顔を出すことになっています。
その為にもしっかりと毎日練習しないと。



ギャラについて

以前Facebookでシェアされた記事で、ギャラ無しの仕事を受けるのはゼロどころかマイナスであると書いてあるのを読みました。

 

その記事は依頼する側について言及してました。

 

ギャラ無しの仕事を依頼するというのはその職人が今まで培ってきた技術を無視すると共に、その技術を習得するのにかかった時間をも意味のないものとして切り捨てることとなり、すなわちマイナスになるのである・・・・・

 

うーんって考えちゃいました。

 

一応、ヤマハのグレードとか、音大の学歴とかいうものもあるけど音楽の仕事って何かしらの資格を持って行うものではないし、依頼主がくだらないと思ったらギャラなんか払いたくないだろうし・・・・

かくいう自分も作曲の仕事(?)を依頼された時に、てっきりギャラが出るものと思い込んで、書きあがった曲を依頼主に渡したら「ありがとう」って言われて終わりにされたり。

 

で、何にも言えなかったり・・・・

 

でも要するに自負なんだろうと思います。

なぜあの時ギャラを払えと言えなかったのか、それは要するに作品への自信がなかったから。

 

つまり自分のせいです。

 

ともかく作曲はどうあれ、演奏に関してはまずギャラの交渉から入るようになりました。

自信があるってことです!!!

 

素晴らしい!!

 

 

Manha Do Carnaval

音源をアップしました。

こちらです

Manha Do Carnaval。カーニバルの朝。

ループを使用して、アップライトベースを乗っけたベースソロで、ジャンルとしてはジャゲエです(ジャズ+レゲエ)。

ループプレイヤーに入れたトラックを足で組み合わせながら演奏しますので打ち込みより多少、自由度が高いですね。

こういうソロパフォーマンスってやったことがないので、今年の夏はこれで行ってみようかと思っています。

即興演奏について最近思うこと2

演奏に於いていつもの自分の癖ってありますよね。

リハーサルではこうしていたのに本番で熱くなると思わず出ちゃう自分の指癖みたいなものです。

指癖って練習すると必ずくっついてきてそのフレーズを弾きやすくしてくれる効果と、くっついてくることによってその場面に必要のない音を弾いてしまったりと、長短の両面があります。

即興演奏するときに指癖が付いていると難解なフレーズをいとも簡単に弾くことができたり、言葉はわるいですがテクニックを出すことでその場しのぎができたりします。

ただ、問題はその時にその指癖が必要かどうかですよね。

発想や欲求抜きで行う表現ってどんなものでも説得力を無くします。音楽においてももちろんそうです。

自分の練習不足のせいもあって幸い(なのか?)指癖の弊害からは免れているのですが、テクニックを出したい時にはなかなか苦労します。

まさに両刃の刃。

基本的に即興演奏って練習出来ないものなので難しいもんですよね。

即興演奏について最近思うこと

「なんか入りを狙われてるみたいですごい気になる」

わたくしの師匠がとある方と演奏をした時の感想です。演奏の流れが出来上がりかけている時にいきなり竿を刺されるようなものでしょうか?

インタープレイという言葉があります。お互いがお互いの世界につかず離れずした結果、素晴らしい世界観が立ち上ってくる。即興演奏の理想形ですね。

映像的にいえばDNAの二重螺旋のような絡まりあいをイメージしますが、おそらくそんな優美な形にはなれなかったのでしょう。

自分にも身に覚えがあります。この曲はどういう景色なのか?どれくらいの時間が流れているのか?どのような色彩と温度なのか?はっきりとしたイメージでなくとも何となく感知できればその流れに逆らうことは無いように思います。

しかし全くと言って良いくらい感じられない曲(良い、悪いではなく)を感じないまま演奏するとき、流れに竿を刺すことがままあります。しかも、入りを狙いながら。

全く手が届かない曲というのはまあ、あるものです。景色も匂いも時間も感じられない曲。

そんなときはどうすべきか?

まー、弾かないことだと思います。

これが唯一できることかな。

で、感じるのを待つ。

感じられないまま曲が終わっちゃったら、そういう曲なんだな、と納得すること。

誰かが悪いわけではありません。

そういうものなんでしょう。

そういう自分の芯の場所を演奏で人前にさらけ出すこと。

そもそも演奏って、特に即興演奏ってそういうものでしょう?

多分・・・

コントラバスの構え方(立って弾く場合)

自分は演奏の時、椅子を使用しているので立って弾くことはあまりないのですが、会場やステージが狭い場合やむなく立って弾くこともあります。その自分なりのやり方を書いておきます。あくまでも自己流ですが・・・

まず、地面と垂直になるように楽器を構えます。その際ピッチの正確さを保つために左手の運びも地面と水平になるように動かします。自分は右利きなので左足の付け根にコントラバスの肩の部分を添わせます。

そして、左足のつま先で楽器の裏板を支えます。これによって左足の付け根と左足のつま先の2点で楽器を支えることとなります。

更に少し楽器を自分側に引き寄せると両手を離しても楽器は倒れません。

地面と垂直に固定された楽器に体のほうを傾けて右手を添えます。この際、大事なのは楽器を自分の側に引き寄せないこと。できるかぎり楽器と地面は垂直を保つこと。

この構え方ならピチカートの際、右手で楽器を支えていないので弓を使用しても大丈夫。

この楽器を構える際大事なのは、なるべく楽器本体に体を触れさせないこと、鳴りと振動を止めないこと、左手のシフトを水平にすること、両方の手で楽器を支えないこと、です。

弾き語りを見て思ったこと~2

前回、弾き語りを見て一人で世界を作り出すというこについて書きましたが、それについて更に考えたことを書いてみたいと思います。

自分一人の世界の中で自分にとって気持ちの良いものだけに囲まれるということは、本人にとっては気持ちのいいことだけれど聞き手にとってそれは必ずしも喜ばしいことではないのではないか?

 と、いうことはそれは作曲という行為にも当てはまるのではないか?と思いました。

 作曲というのは孤独な自慰行為に陥りがちです。ほかの作家さんたちはわかりませんが少なくともじぶんはそうです。

 自慰行為が少々過激な表現ならば思い込みと言い換えてもいいでしょう。創作している自分にとって必ずしも気持ちのいいものではなかったとしても、今現在創作中のその音楽世界にとって必要な素材が発見されてしまうことは多々あります。その時に自らの思い込みにとらわれずにその必要な素材を取り上げる勇気が絶対に必要となります。

 自分の世界ともう一つの自分の中の他者の世界が存在し、そしてそれは一人きりで音楽を作り上げていく弾き語りと似ています。                                    一見、孤独な作業に見える弾き語りと作曲ですが、実は複数の自分とのジャムセッションの場なのです。

・・・・と、思いました。

 

弾き語りを見て思ったこと

ここのところ何回か続けて弾き語りを聴くことがありました。会場の下見とともに友人のliveを見るためです。

そこでふと思ったことですが歌にしろ器楽曲にしろ、一人で音楽を造りだしそれを観客に聴かせ続けるというのは大変なことなんだな、と思いました。

何をいまさらと言われそうですが、なぜ大変だと思ったかと言うと退屈したからです。

たった一人で世界を作り出すと自分に心地よいものだけで世界を固めがちです。当たり前のことではあるのですが・・・と、なると異物が入り込んでこない。想定外が無い。歌い手にとって気持ちの良いものしかない。

つまり聴いている側としては退屈する。

バンドの時はぶつかり合う緊張感というものが必ず存在するので聴き続けることができるのですが、一人だと異物への緊張感を持ちづらいのかもしれません。

演奏もそうですが自分のなかに相対するもう一人の自分がなければ情に流されたり、または理論に片寄ったりしがちです。その時々のジキルとハイドのバランスが緊張感の源ですし、観客を引き付ける要因なのではないかと思います。

もっともっと歌(口)と演奏(手)の距離が離れれば緊張感が生まれるのに。

・・・・・と、このようなことを考えました。

ミニマリスト

えー・・・・時計、電話、カレンダー、メモ帳、目覚まし、カメラ、ヴィデオ、音楽プレイヤー、方位磁石、万歩計、ネットサーフ・・・・などなど。

これ、全部スマホですんじゃうんですよね。

かつての経済発展っていうのは物の保有数と同期していたのに、最近のスマホってーのはブラックホール的に何でもかんでも物を飲み込んじゃって行くみたいです。

で、こうやってスマホに依存して自身の持ち物をどんどん減らしていく人達のことをミニマリストと言うんだそうです。

確かに環境のこととか住宅のスペースのこととかを考えるととても良い方向性に見えるんですが、じゃあ、スマホが壊れたりしたらどうするのかなって思うんですよね。

一つ失っただけで生活環境全てが危うくなってしまう・・・・。

うーん、・・・・自分の身近に本物のミニマリストがいて、その人は本当に何も持たないです。携帯すらも。

ここまで来ると一種の凄味を感じてしまいますね。

ストレスと演奏

よく演奏して帰ってきたりすると、ストレスの解消にとても良いことをしていると言われたりします。

しかし、それは違う。

むしろストレスを溜めて帰ってきます。

 その日、出来なかったことやライヴの反省などをしながらの帰宅となります。なので演奏的にはストレスは溜まる一方。

毎回ストレス無しの最高な演奏なんて自分は出来ないので。


ただ、音楽的は意味合いでは確かに発散をしています。なにしろ大声で自分の言いたいことを言うだけ言ってくるので。

そういう意味では聞いているお客さんのほうがストレスかもしれません。



 

演奏と観客

リハーサルと本番の演奏が違ってしまってはいけないと考えてきました。なぜなら音楽にのみ入りきったリハーサルの演奏こそが、自分の理想とする他に何も邪魔(といっては観客に失礼ですが)のない純粋な音楽の為の音楽だと感じていたからです。

 けれど、だったら客、入れないで自分達だけの世界に入ってろよ!ということになります。

作曲家が演奏家を必要なように、演奏家は観客が必要なんですね。

いくら良質な音楽を演奏したところで観客がいなければ、寂しいだけです。

では、どうすべきか・・・。

出した答えは、観客も一種の演奏家である、でした。

失礼ながら、1000人の聴衆と3人の聴衆がいるホールでは演奏が違ってくるのが当然です。一概にどちらがいい演奏をするかはわかりません。演奏者の人次第でどうにでも変わるのでしょう。ただ重要なのは演奏が変化するというところです。ここが観客も一種の演奏家であるとする所以です。

 リハーサルと本番では演奏が変化して当たり前なんですね。

これがただの迎合ではなく、自然な化学変化であればむしろ歓迎すべきことなのでしょう。

 なかなか難しいですけどね。

 やはりカッコ良いとこ見せたいし・・・。


 

上達への近道

楽器に限らず、~道だの~業、~学と名のつくものの上達に近道などはありません。これは断言しても良いと思うし、これだけは誰もがうなずいてくれると思っています。まあ他の学問などにあまり一生懸命になったことがない自分としては、他の修行関係にとやかく言う資格なんか無いんですが・・・。

 けれど、音楽に関してはある、と思っています。(あくまで「音楽」です。「楽器」ではありません)それは、「ノリ」を鍛えること。音楽ってたくさんの要素が集まって初めて一曲の曲が出来上がりますよね。ハーモニーであったり音階であったり、作曲者の発想であったり、演奏者の技術であったり・・・。でもそれら数々の要素を一枚一枚はがしていった後に残るものが「ノリ」と言われる抽象的なものなのではないかと思います。

 日本語では「ノリ」、他の国々の言語でもたくさんの方法で言語化されている、少々不可解で厄介な存在。これは「リズム」とは別物です。「リズム」とはある一定の時間軸に沿った回転によって生み出されるループのこと。この場合の「ノリ」とは一定のテンポ感を持たない音楽も含みます。

 国によってもジャンルによっても、1曲1曲全てにおいて異なった「ノリ」。いや、むしろ「ノリ」が違うからジャンルという発想が生まれるのでしょう。

 音楽には、というより、曲それぞれには大きな円で描いた正解があります。それぞれの曲にふさわしいノリ方があります。100曲あれば100通りのノリがある。それの最大公約数をまた大きな円でくくったものがジャンルということになるのだろうと思います。サルサにはサルサの、レゲエにはレゲエの・・・。

 では果たして「ノリ」は鍛えることが可能なのか?

 結局、非常に限定された範囲であれば可能、ということになるでしょう。自分が今、挑もうとしているその曲、どこの国の、誰が、どのような発想で書いたものか?どのジャンルに属し、どのような楽器を使用するのか?またはどのような歌唱法が必要なのか?それらによって「ノリ」を精査する必要が出てきます。

 結論としては、近道は無い。と、いうことか・・・?

 でも「ノリ」が無ければ音楽そのものが生まれてきません。その一番根底の部分をまっ先に押さえておくことは、やはり一番の近道ではないかと思います。

 

 

タブ譜の功罪

自分が初めてバンドを結成した時に接した譜面がタブ譜でした。それからというものタブ譜に頼りっきりで全く譜面と関わらずにジャズを弾いてきました。コード譜ならなんとか読めましたしポジションさえ分かっていれば何となく演奏できたんです。確かにタブ譜というものが存在していなかったらこんなに身近に音楽で遊ぶことはそもそも不可能でしたでしょうし、音楽の世界の敷居をとても低くしてくれたという点ではこれは効果の部分でしょう・・・。ただ効果の部分はそこまでで、そこから先に音楽を勉強しようとすると途端に譜面の前で躓くこととなりました。読めなかったのです。それにまず曲を書いても譜面に残せない、アレンジできない、他楽器の人に伝えられない・・・無い無いづくしです。やはり比較するとタブ譜は罪のほうが多いような・・・・なので多少無理をしても五線譜で音楽の勉強を始めたほうが、寄り道をしなくて済むと思います。

只今待機中

この度、めでたくVoさん用のトラックが3曲完成しましてあとは歌入れを待つのみ、と相成りました。生歌の録音って初めてなのでどうなることかわかりませんが非常ーっに楽しみであります!!頭の中でイメージしていた通りになるはずです。完成したら是非PVにしてアップします。楽しみ!!!

リズムってーのは・・・・。

 音楽にはメロディーとハーモニーとリズムがあるとは良く言われることです(無いこともあるけど・・・)。ただでさえ見ることも触れることもできない抽象芸術の極致とか言われる音楽の中で、最も抽象的でしかも、人間という存在に最も近しい存在がリズムなのではないかと思います。そもそも音楽の始まりはリズムと言われていますよね?多分・・・。遠距離間の通信方法がお楽しみに変化したとか、お祈りとかお祭りとかで棒切れを叩いたとか・・・。近代の西洋和声理論が確立してからまだ200年くらいしか経過していないことを考えると、相当古い時代からリズムってーのは人間と共にあったようです。

 自分が演奏中において、その時の心理状態が一番躊躇に反映されるのがリズムです。他の要素、例えば音程とかフレーズとか、では確かに影響はある筈なのですがリズムほど心の動きを表出してしまうものは他にありません。焦ればリズムは走り、油断すればモタります。練習においても捕まえたかと思えばまた手の中からスルリと逃げていく、同じ曲を同じように演奏しているつもりでも後から聞いてみると、また違ったノリをしていたりします。

 まあ、人間ってーのもそんなものではあるんではないでしょうか?一筋縄ではいかないものです。音楽芸術において一番の昔から人間と共にあるリズム、仲よくしていきたいものです。

弓の構え方

弓の構え方で検索される方が結構いらっしゃるようなのであくまで自分なりの構え方を書いておきます。自分なりと書きましたが一応、音大で正式の構え方を習いました。ただ、それですといろいろ不都合があったので自分なりに改良を加えたものです。それと、自分はジャーマン方式の弓しか使ったことがありませんのでフレンチの構え方はわかりません。

ではまず、このように薬指を弓の毛箱と竿の間に差し入れます。弓自体はまだブラーンとしていて構いません。

で、このように親指を弓のおしりにひっかけます。小指は毛箱の外側に。

軽く握ります。鉛筆を握る要領です。

横から見たところ

前から見たところ

小指を使用して全体を持ち上げます。人差し指は竿の上に。中指は竿と毛箱の付け根に。水平に持ち上げた状態が不安定だったとしても構いません。弓が弦に乗っかった状態で安定していればそれで良いので。

そのまま弦上に乗っけます。

で、ボウイングとなるわけですが、竿の上に乗っかった人差し指に腕の重量を脱力して乗っけることで楽器の音量が上がり、逆に力を入れて弓を浮かせることで音量が下がります。そして竿の裏側にある中指を伸縮させて細かいフレーズを演奏します。スピッカートなどは拳骨を固めて弓の反動をコントロールします。後、アクセントなど細かなことなどは・・・・レッスンに来てください。なかなか文章だけでは伝えづらいです。

教わることと教えること

実際、かくいう自分も音楽を教わりつつ教えているわけですが、どちらもなかなか難しいものであるなあ・・・と最近つくづく思います。一見、教わることのほうが受け身であるわけだし楽なように感じますが、初心者のうちはそれで良くても技術がだんだん向上していくとなかなかそうはいかなくなっていきます。まずは目覚めた自己に悩むようになります。先生を疑うわけではないんですが、果たして先生の言っていることを一から十まで全て信じてしまって良いのだろうか?先生が良いといえば良い。悪いといえば悪い。果たしてそこに自分という存在はあるのだろうか?教わるというのはそういうものだと言われれば確かにそうなんですが、いつかは慣れ親しんだ先生から離れなくてはいけない時が来るんではないか?と思います。逆に教えることのほうが楽な時もあります。自分に疑いを持たなければ。とはいっても自分を疑わない人なんていないと思いますのでこれはこれでなかなかな悩みです。たぶん人に教えを垂れるなんて一万年くらい早いんだろうなと思いつつ生活のためにはやむ負えない・・・。まあこんな自分でも教わりに来てくれる人も中にはいるし、確実に言えることは少なくとも生徒さん達よりは技術も経験もあるということです。教わることも教えることも両方、頑張ります!

けがと演奏

仕事中に左手首をひねった?かどうかしてしばらく痛くて演奏が不可能でした。演奏者にとって手は死活問題なので左右両手用のサポーターを買って激しい活動をするときには必ず手首に巻くようにし、痛みがあるうちはぜったいに楽器に触りませんでした。以前は練習は根性で行うものだという体育会系のノリで痛みがあろうがなかろうがとにかく練習をしていました。今は絶対そんなことしませんけど・・・。昔から結構、指だの手首だのを故障させていて、まあこれはしょうがないものだと諦めていたんですが音大の先生にそれは良くない練習方法だと怒られました。その先生はピアノ弾きで、今まで一度も故障をしたことがないそうです。

 今から思うと練習をしない不安感に負けていたんでしょうね。その練習が自分にとって有益かどうかを考えもせずにただ、練習のための練習を繰り返していました。

 この年になってようやく落ち着いて自分の練習と向かい合うことができてきたような気がします。

 けがにはくれぐれもお気をつけてください。

国分寺M'sでのLive

国分寺のM'sで演奏してきました。もともと吉祥寺でメグを経営してた店長さんが新たに国分寺に開いたお店です。

さすがに長い間こういう時間と空間と音楽に浸ってきた方だけあって、居心地のとてもいいお店です。

早速次の演奏を決めてきました。

次回は6月6日(ハッピーバースデイ・ダミアン!)

しかもカールヘフナーの置き楽器があって自由に使っていいとのこと。ありがたく弾かせて頂きました。

まだ若い楽器という印象です。これから弾きこんでいくと抜けたいい音になっていくでしょう。

店長さんに言わせるとまだまだ未完成のお店らしいです。

でもマッキントッシュのアンプが控えていたり、スピーカーを据え付ける台座が製作途中だったりして、ますます楽しそうな空間になりそうな予感がします。

横谷基トリオのHP作りました

横谷基トリオのHP作りました。

20年余り一緒に活動してきてHPすら持っていないってとこがいかにもこのバンドらしくて良かったんですが、ちょっと演奏とかの宣伝のは不便なんでこの際思い切って作りました。

Yokoya Motoi TrioのHP

よろしくお願いします。

HPを分けました

今まで一緒くただったのでHPを分けることにしました。

ベース関係のほうはこのままこっちに置いておいて、作曲、DTM関連のほうを新たに作りました。

AKIRA COMPOSE STUDIO

といいます。

今後とも何卒よろしくお願いします。

横谷基トリオのHP作りました

横谷基トリオのHPをやっと開設しました。

結成20ねんにしてやっとこさHPを作るあたり、なかなかにこのバンドらしいなあと感慨深いです。

こちらです

与野シャインにて演奏決定

2月28日、横谷基トリオのベーシストとして与野シャインでの演奏が決まりました。

年に一回(笑)くらいしか演奏をしないのでこの貴重な(笑)(笑)機会を逃さずに是非ご来場下さいませ。

オープン19時、スタート19時半。

チャージ3000円のワンドリンク付きです。

ベースとはそもそも・・・

そもそもベースって何でしょうか?

以前、音楽教室でデモ演奏をした時に聴きに来た方達にアンケートをとりましたら、ベースに関する記述が一つも無くて軽くショックを受けたことがあります。
でも考えてみれば自分もこの楽器と出会うまではギターの後ろでなんかやってるミュージシャンのことなんて考えたことが無かったです。
仕方のない事かもしれませんし、君の力量の所為だと言われれば返す言葉も無いのですが・・・。

しかし、音楽を演奏したことのない人達はベース抜きの音楽に接する機会がほとんど無いのではないかと思われます。
ということは、同時にこの楽器の持つ魅力と破壊力に気づく機会も無いのではないかと・・・。

縁の下の何とやらとはよく言われる言葉なんですが、演奏に触れたことの全く無い人の耳にも確実にこの楽器の音は届いてるはずなんです。
ただ、他にたくさん鳴っている音の中からベース音のみを聴きだすにはある程度慣れが必要なので、なかなか理解はされづらいかな・・・。

でも逆に少しでも演奏に触れたことのある人達にとっては無くてはならないものとなります。
絶対になります。

確かにあのアンケート結果は多少不本意なものではありましたがそれでも続ける価値のある楽器です。
自分には。


強拍と弱拍 2

さてと、また強拍と弱拍についてです。


一般に4分の4拍子ならば強拍ー弱拍ー強拍ー弱拍、と相場が決まっています。

ただ、これってずれることが多々あります。

例えば、4拍目で次の小節とタイで繋がって(こういうの文章で説明するのって大変)一拍目の音が前の音と繋がったら、二拍目が強拍に感じませんか?


感じない?

あ、そうですか。スミマセン……


まあこういうのは非常に主観的な感覚なんで一般論で説明は出来ないのでしょう。


で、これを強拍に取るか弱拍と取るかの良し悪しを論じたいのではなくて、こういったリズムの何処をポイントとして捉えるか?

を書きたいのですね。


自分は(あくまでも自分は)何処に強拍があろうが無かろうが、音の無い場所(弾いていない、またはレガートで延ばしているとき)を強く捉えます。


音がある場所(弾いている時)ならば気にしなくてもある程度リズムのポイントを捉えているものです。


危ないのはより静寂に近づいた時。

弾いていない時。


気持ちが緩みます。

で、リズムも緩みます。


音楽っていうのはたくさんの要素で出来上がっていますが、静寂と騒音もその一つです。

譜面で言えば休符と実音。


音楽の上でそれは確実に等しく並ぶことになります。

音が無いからと気持ちが緩んでいいわけではない。

まだ音楽は続いているのだから。


でも弾いていない瞬間は気が緩みがちなので、そこはしっかりと押さえます!


音楽が終わるまで。


リソウのリズム

理想のリズム取り、について書いてみたいと思います。

音楽を演奏するということは至ってシンプルな行動なんですがそれには様々な要素が絡んできます。
歌、ハーモニー、呼吸、心など。
まあ、心は置いておいて自分はベース弾きなのかなり重要な要素となってくるのがリズムなわけです。

演奏中に譜面をロストして焦れば走り、難しいフレーズではモタり、なかなか安定感のあるリズムというものは作りづらい。
自分にとって理想のリズムとは心理状態と関わらないリズムのことです。

どんなに表面上焦ることがあっても、例え演奏中に関東大震災が起きても彗星が地球に激突しようとも揺れないリズム。
そういう人に私はなりたい。

でも、演奏中の出音は揺れているんですよ。
でも心の中はひたすらに静まっている。

武道とかを極めれば出来ますかね?
うーん、
May the force be with you!
かな?



強拍と弱拍 またはジャンルと地域 1

強拍と弱拍、について書いてみようかと思います。
ではまずリズムとは何か?という話になりますよね、やっぱり。

リズムとは〈一定の時間内で行う反復運動〉とここでは定義しまして、一定の時間内とはリアルタイムで苦もなく記憶できる長さをいいます。反復運動と定義した以上忘れてしまっては意味がないですしね。
で、その反復運動の一つ一つが色々な長さや強さや色をもちます。そこにいわゆる〈ノリ〉が生まれる。
自分はそう思っています。
うん、いいかな?こんなもので・・・。
その色々な長さや強さや色の反復物質を更にリズムにはめ込むことで強拍と弱拍が生まれる。

で、本題です。
仮に譜面上で4分の4拍子として、強拍ー弱拍ー強拍ー弱拍が1-2-3-4なのか、弱拍ー強拍ー弱拍ー強拍が1-2-3-4なのか?
4分の3だったら強拍ー弱拍ー弱拍なのか、弱拍ー弱拍ー強拍なのか?
もしも8分の8だったら強拍ー弱拍ー弱拍ー弱拍ー強拍ー弱拍ー弱拍ー弱拍なのか、弱拍ー弱拍ー弱拍ー強拍ー弱拍ー弱拍ー弱拍ー強拍なのか?それとも弱拍ー強拍ー弱拍ー強拍ー弱拍ー強拍ー弱拍ー強拍なのか?・・・。
キリがないです。

ジャンルとか地域とかで違うらしいんでそう言われればそうなんですが、まあそこはブログなのでごちゃごちゃと考えるわけです(笑)

で、結果から言いますとどっちでも良いんじゃないかな。
随分大雑把な結論ですが、考えたことがありまして(ブログですから)

ネットの発達によってどこの国の音楽でも気軽に聞けるようになった(気がします)。それによって本格的な音楽をコピー出来るようになり、ジャンルや地域の壁を越えることが可能になった。もちろんそのためには個人のそうとうな努力が必要なんですが。
でも自分は昔の人間ですから、昔の情報不足によって引き起こされていた勘違い(もしくは意図的な)が懐かしいわけです。
星のフラメンコとか・・・。
あれって多分本場の人が聴いたらびっくりするんじゃないかな。
あと、ジョンレノンの演奏したレゲエとか。
一様にいわゆる本物とは言えない音になってます。

間違いと言ってしまえばそれまでなんですが、でもその勘違いや間違いが様々な新しさを創造してきたことは否めない。その勘違いや間違いを喚起してきたのが正に情報不足だったんではないかと思います。
みんながみんな本格派になっちゃったらつまんなくないですか?

と、いうことで強拍ー弱拍問題の結論です。
どっちでもいい。

終わり。

うーん、もうちょっと続けましょう。










運指について

運指について考えてみました。
ジャズなどでは指クセがあって自分のやり易いフレーズを選択する事が出来るのですが、クラシックなど自分の手によって生み出されたものではないフレーズを弾く場合、一度立ち止まって指板と相談してみるととても良い解決策が見出される事があります。
まあ、どうやっても見出せない場合もあるのですが・・・。
大事なのは闇雲に自分の指クセにそのフレーズを沿わせようとしない事です。
そのフレーズには四本、五本または六本の四度チューニングの弦にとって、または自分の指の長さ、指のクセ、身体能力にとって、最適な弾き方が必ずやあるはず、という確信をもつことです。
それでも見出せない事もあるんですが・・・。
あとは弦の音色の問題もありますね。
開放弦と指で押さえた弦とでは音が違います。それにコントラバスなど弓で音を表現する事が多い場合ヴィブラートなどの問題も出てきますので、ひたすら弾き易ければ良いという問題でもない。
色々な方法を試してみるしかないですよね。
クラシックを弾くようになって一番煩わしかったのはそこでした。
自分の中には存在しない歌を歌わなきゃあならない事。
でも、必ずそれは自分の歌となって自分のポケットに入ってきますので無駄にはなりません。
まあ、音楽家にとって無駄なものなど存在しませんけどね。


最近の練習

最近、毎日ちゃんと練習するようになりました。
そんな当たり前な・・・と思われるかもしれませんが、毎日10分でも集中した練習を行うということはなかなかに大変なことです。
毎日ちゃんと練習を始めてみて気付いたことは、要するに練習とは記憶の保持なのだなということ。
これまたそんな当たり前な・・・と思われるかもしれません。
自分は今まで練習したらしただけ効果が積み上がって行くものだと考えていました。でも練習の記憶・・・脳内の記憶(例えば曲の記憶)、身体的な記憶(例えば運指)、良い演奏のイメージなどは日々薄れていくんですね。
練習とはその記憶をしっかりと保持して体内に固定(固定することが良いことなのか悪いことなのかはまだ結論が出ませんが)するための行為なんですね。やっと気づく事が出来ました。
遅い!!!
でも自分のペースっておそらくこんなものであって、無理にペースを上げようとしても結局、記憶の保持と固定が出来ない。
しょうがないです。自分はこんなものなんですね。
今、家庭内の事情で演奏活動はおろかセッションにさえも顔を出せない状況が続いています。でもなんとかかんとか続けないとね。
今月末から室内楽のグループに顔を出すことになっています。
その為にもしっかりと毎日練習しないと。



ギャラについて

以前Facebookでシェアされた記事で、ギャラ無しの仕事を受けるのはゼロどころかマイナスであると書いてあるのを読みました。

 

その記事は依頼する側について言及してました。

 

ギャラ無しの仕事を依頼するというのはその職人が今まで培ってきた技術を無視すると共に、その技術を習得するのにかかった時間をも意味のないものとして切り捨てることとなり、すなわちマイナスになるのである・・・・・

 

うーんって考えちゃいました。

 

一応、ヤマハのグレードとか、音大の学歴とかいうものもあるけど音楽の仕事って何かしらの資格を持って行うものではないし、依頼主がくだらないと思ったらギャラなんか払いたくないだろうし・・・・

かくいう自分も作曲の仕事(?)を依頼された時に、てっきりギャラが出るものと思い込んで、書きあがった曲を依頼主に渡したら「ありがとう」って言われて終わりにされたり。

 

で、何にも言えなかったり・・・・

 

でも要するに自負なんだろうと思います。

なぜあの時ギャラを払えと言えなかったのか、それは要するに作品への自信がなかったから。

 

つまり自分のせいです。

 

ともかく作曲はどうあれ、演奏に関してはまずギャラの交渉から入るようになりました。

自信があるってことです!!!

 

素晴らしい!!

 

 

Manha Do Carnaval

音源をアップしました。

こちらです

Manha Do Carnaval。カーニバルの朝。

ループを使用して、アップライトベースを乗っけたベースソロで、ジャンルとしてはジャゲエです(ジャズ+レゲエ)。

ループプレイヤーに入れたトラックを足で組み合わせながら演奏しますので打ち込みより多少、自由度が高いですね。

こういうソロパフォーマンスってやったことがないので、今年の夏はこれで行ってみようかと思っています。

即興演奏について最近思うこと2

演奏に於いていつもの自分の癖ってありますよね。

リハーサルではこうしていたのに本番で熱くなると思わず出ちゃう自分の指癖みたいなものです。

指癖って練習すると必ずくっついてきてそのフレーズを弾きやすくしてくれる効果と、くっついてくることによってその場面に必要のない音を弾いてしまったりと、長短の両面があります。

即興演奏するときに指癖が付いていると難解なフレーズをいとも簡単に弾くことができたり、言葉はわるいですがテクニックを出すことでその場しのぎができたりします。

ただ、問題はその時にその指癖が必要かどうかですよね。

発想や欲求抜きで行う表現ってどんなものでも説得力を無くします。音楽においてももちろんそうです。

自分の練習不足のせいもあって幸い(なのか?)指癖の弊害からは免れているのですが、テクニックを出したい時にはなかなか苦労します。

まさに両刃の刃。

基本的に即興演奏って練習出来ないものなので難しいもんですよね。

即興演奏について最近思うこと

「なんか入りを狙われてるみたいですごい気になる」

わたくしの師匠がとある方と演奏をした時の感想です。演奏の流れが出来上がりかけている時にいきなり竿を刺されるようなものでしょうか?

インタープレイという言葉があります。お互いがお互いの世界につかず離れずした結果、素晴らしい世界観が立ち上ってくる。即興演奏の理想形ですね。

映像的にいえばDNAの二重螺旋のような絡まりあいをイメージしますが、おそらくそんな優美な形にはなれなかったのでしょう。

自分にも身に覚えがあります。この曲はどういう景色なのか?どれくらいの時間が流れているのか?どのような色彩と温度なのか?はっきりとしたイメージでなくとも何となく感知できればその流れに逆らうことは無いように思います。

しかし全くと言って良いくらい感じられない曲(良い、悪いではなく)を感じないまま演奏するとき、流れに竿を刺すことがままあります。しかも、入りを狙いながら。

全く手が届かない曲というのはまあ、あるものです。景色も匂いも時間も感じられない曲。

そんなときはどうすべきか?

まー、弾かないことだと思います。

これが唯一できることかな。

で、感じるのを待つ。

感じられないまま曲が終わっちゃったら、そういう曲なんだな、と納得すること。

誰かが悪いわけではありません。

そういうものなんでしょう。

そういう自分の芯の場所を演奏で人前にさらけ出すこと。

そもそも演奏って、特に即興演奏ってそういうものでしょう?

多分・・・

コントラバスの構え方(立って弾く場合)

自分は演奏の時、椅子を使用しているので立って弾くことはあまりないのですが、会場やステージが狭い場合やむなく立って弾くこともあります。その自分なりのやり方を書いておきます。あくまでも自己流ですが・・・

まず、地面と垂直になるように楽器を構えます。その際ピッチの正確さを保つために左手の運びも地面と水平になるように動かします。自分は右利きなので左足の付け根にコントラバスの肩の部分を添わせます。

そして、左足のつま先で楽器の裏板を支えます。これによって左足の付け根と左足のつま先の2点で楽器を支えることとなります。

更に少し楽器を自分側に引き寄せると両手を離しても楽器は倒れません。

地面と垂直に固定された楽器に体のほうを傾けて右手を添えます。この際、大事なのは楽器を自分の側に引き寄せないこと。できるかぎり楽器と地面は垂直を保つこと。

この構え方ならピチカートの際、右手で楽器を支えていないので弓を使用しても大丈夫。

この楽器を構える際大事なのは、なるべく楽器本体に体を触れさせないこと、鳴りと振動を止めないこと、左手のシフトを水平にすること、両方の手で楽器を支えないこと、です。

I feel you

昨晩、私のサクラユキを歌って頂いた田口みさきさんのワンマンに録音要員として参加してきました。ライヴのテーマがIfeelyou。友人のビッグバンドを録音して以来録音の楽しさに取り付かれまして、いやー!楽しー!で、録ってきた音源をただいまミックス中です。

弾き語りを見て思ったこと~2

前回、弾き語りを見て一人で世界を作り出すというこについて書きましたが、それについて更に考えたことを書いてみたいと思います。

自分一人の世界の中で自分にとって気持ちの良いものだけに囲まれるということは、本人にとっては気持ちのいいことだけれど聞き手にとってそれは必ずしも喜ばしいことではないのではないか?

 と、いうことはそれは作曲という行為にも当てはまるのではないか?と思いました。

 作曲というのは孤独な自慰行為に陥りがちです。ほかの作家さんたちはわかりませんが少なくともじぶんはそうです。

 自慰行為が少々過激な表現ならば思い込みと言い換えてもいいでしょう。創作している自分にとって必ずしも気持ちのいいものではなかったとしても、今現在創作中のその音楽世界にとって必要な素材が発見されてしまうことは多々あります。その時に自らの思い込みにとらわれずにその必要な素材を取り上げる勇気が絶対に必要となります。

 自分の世界ともう一つの自分の中の他者の世界が存在し、そしてそれは一人きりで音楽を作り上げていく弾き語りと似ています。                                    一見、孤独な作業に見える弾き語りと作曲ですが、実は複数の自分とのジャムセッションの場なのです。

・・・・と、思いました。

 

弾き語りを見て思ったこと

ここのところ何回か続けて弾き語りを聴くことがありました。会場の下見とともに友人のliveを見るためです。

そこでふと思ったことですが歌にしろ器楽曲にしろ、一人で音楽を造りだしそれを観客に聴かせ続けるというのは大変なことなんだな、と思いました。

何をいまさらと言われそうですが、なぜ大変だと思ったかと言うと退屈したからです。

たった一人で世界を作り出すと自分に心地よいものだけで世界を固めがちです。当たり前のことではあるのですが・・・と、なると異物が入り込んでこない。想定外が無い。歌い手にとって気持ちの良いものしかない。

つまり聴いている側としては退屈する。

バンドの時はぶつかり合う緊張感というものが必ず存在するので聴き続けることができるのですが、一人だと異物への緊張感を持ちづらいのかもしれません。

演奏もそうですが自分のなかに相対するもう一人の自分がなければ情に流されたり、または理論に片寄ったりしがちです。その時々のジキルとハイドのバランスが緊張感の源ですし、観客を引き付ける要因なのではないかと思います。

もっともっと歌(口)と演奏(手)の距離が離れれば緊張感が生まれるのに。

・・・・・と、このようなことを考えました。

ミニマリスト

えー・・・・時計、電話、カレンダー、メモ帳、目覚まし、カメラ、ヴィデオ、音楽プレイヤー、方位磁石、万歩計、ネットサーフ・・・・などなど。

これ、全部スマホですんじゃうんですよね。

かつての経済発展っていうのは物の保有数と同期していたのに、最近のスマホってーのはブラックホール的に何でもかんでも物を飲み込んじゃって行くみたいです。

で、こうやってスマホに依存して自身の持ち物をどんどん減らしていく人達のことをミニマリストと言うんだそうです。

確かに環境のこととか住宅のスペースのこととかを考えるととても良い方向性に見えるんですが、じゃあ、スマホが壊れたりしたらどうするのかなって思うんですよね。

一つ失っただけで生活環境全てが危うくなってしまう・・・・。

うーん、・・・・自分の身近に本物のミニマリストがいて、その人は本当に何も持たないです。携帯すらも。

ここまで来ると一種の凄味を感じてしまいますね。

ストレスと演奏

よく演奏して帰ってきたりすると、ストレスの解消にとても良いことをしていると言われたりします。

しかし、それは違う。

むしろストレスを溜めて帰ってきます。

 その日、出来なかったことやライヴの反省などをしながらの帰宅となります。なので演奏的にはストレスは溜まる一方。

毎回ストレス無しの最高な演奏なんて自分は出来ないので。


ただ、音楽的は意味合いでは確かに発散をしています。なにしろ大声で自分の言いたいことを言うだけ言ってくるので。

そういう意味では聞いているお客さんのほうがストレスかもしれません。



 

演奏と観客

リハーサルと本番の演奏が違ってしまってはいけないと考えてきました。なぜなら音楽にのみ入りきったリハーサルの演奏こそが、自分の理想とする他に何も邪魔(といっては観客に失礼ですが)のない純粋な音楽の為の音楽だと感じていたからです。

 けれど、だったら客、入れないで自分達だけの世界に入ってろよ!ということになります。

作曲家が演奏家を必要なように、演奏家は観客が必要なんですね。

いくら良質な音楽を演奏したところで観客がいなければ、寂しいだけです。

では、どうすべきか・・・。

出した答えは、観客も一種の演奏家である、でした。

失礼ながら、1000人の聴衆と3人の聴衆がいるホールでは演奏が違ってくるのが当然です。一概にどちらがいい演奏をするかはわかりません。演奏者の人次第でどうにでも変わるのでしょう。ただ重要なのは演奏が変化するというところです。ここが観客も一種の演奏家であるとする所以です。

 リハーサルと本番では演奏が変化して当たり前なんですね。

これがただの迎合ではなく、自然な化学変化であればむしろ歓迎すべきことなのでしょう。

 なかなか難しいですけどね。

 やはりカッコ良いとこ見せたいし・・・。


 

上達への近道

楽器に限らず、~道だの~業、~学と名のつくものの上達に近道などはありません。これは断言しても良いと思うし、これだけは誰もがうなずいてくれると思っています。まあ他の学問などにあまり一生懸命になったことがない自分としては、他の修行関係にとやかく言う資格なんか無いんですが・・・。

 けれど、音楽に関してはある、と思っています。(あくまで「音楽」です。「楽器」ではありません)それは、「ノリ」を鍛えること。音楽ってたくさんの要素が集まって初めて一曲の曲が出来上がりますよね。ハーモニーであったり音階であったり、作曲者の発想であったり、演奏者の技術であったり・・・。でもそれら数々の要素を一枚一枚はがしていった後に残るものが「ノリ」と言われる抽象的なものなのではないかと思います。

 日本語では「ノリ」、他の国々の言語でもたくさんの方法で言語化されている、少々不可解で厄介な存在。これは「リズム」とは別物です。「リズム」とはある一定の時間軸に沿った回転によって生み出されるループのこと。この場合の「ノリ」とは一定のテンポ感を持たない音楽も含みます。

 国によってもジャンルによっても、1曲1曲全てにおいて異なった「ノリ」。いや、むしろ「ノリ」が違うからジャンルという発想が生まれるのでしょう。

 音楽には、というより、曲それぞれには大きな円で描いた正解があります。それぞれの曲にふさわしいノリ方があります。100曲あれば100通りのノリがある。それの最大公約数をまた大きな円でくくったものがジャンルということになるのだろうと思います。サルサにはサルサの、レゲエにはレゲエの・・・。

 では果たして「ノリ」は鍛えることが可能なのか?

 結局、非常に限定された範囲であれば可能、ということになるでしょう。自分が今、挑もうとしているその曲、どこの国の、誰が、どのような発想で書いたものか?どのジャンルに属し、どのような楽器を使用するのか?またはどのような歌唱法が必要なのか?それらによって「ノリ」を精査する必要が出てきます。

 結論としては、近道は無い。と、いうことか・・・?

 でも「ノリ」が無ければ音楽そのものが生まれてきません。その一番根底の部分をまっ先に押さえておくことは、やはり一番の近道ではないかと思います。

 

 

タブ譜の功罪

自分が初めてバンドを結成した時に接した譜面がタブ譜でした。それからというものタブ譜に頼りっきりで全く譜面と関わらずにジャズを弾いてきました。コード譜ならなんとか読めましたしポジションさえ分かっていれば何となく演奏できたんです。確かにタブ譜というものが存在していなかったらこんなに身近に音楽で遊ぶことはそもそも不可能でしたでしょうし、音楽の世界の敷居をとても低くしてくれたという点ではこれは効果の部分でしょう・・・。ただ効果の部分はそこまでで、そこから先に音楽を勉強しようとすると途端に譜面の前で躓くこととなりました。読めなかったのです。それにまず曲を書いても譜面に残せない、アレンジできない、他楽器の人に伝えられない・・・無い無いづくしです。やはり比較するとタブ譜は罪のほうが多いような・・・・なので多少無理をしても五線譜で音楽の勉強を始めたほうが、寄り道をしなくて済むと思います。

只今待機中

この度、めでたくVoさん用のトラックが3曲完成しましてあとは歌入れを待つのみ、と相成りました。生歌の録音って初めてなのでどうなることかわかりませんが非常ーっに楽しみであります!!頭の中でイメージしていた通りになるはずです。完成したら是非PVにしてアップします。楽しみ!!!