リハーサルと本番の演奏が違ってしまってはいけないと考えてきました。なぜなら音楽にのみ入りきったリハーサルの演奏こそが、自分の理想とする他に何も邪魔(といっては観客に失礼ですが)のない純粋な音楽の為の音楽だと感じていたからです。
けれど、だったら客、入れないで自分達だけの世界に入ってろよ!ということになります。
作曲家が演奏家を必要なように、演奏家は観客が必要なんですね。
いくら良質な音楽を演奏したところで観客がいなければ、寂しいだけです。
では、どうすべきか・・・。
出した答えは、観客も一種の演奏家である、でした。
失礼ながら、1000人の聴衆と3人の聴衆がいるホールでは演奏が違ってくるのが当然です。一概にどちらがいい演奏をするかはわかりません。演奏者の人次第でどうにでも変わるのでしょう。ただ重要なのは演奏が変化するというところです。ここが観客も一種の演奏家であるとする所以です。
リハーサルと本番では演奏が変化して当たり前なんですね。
これがただの迎合ではなく、自然な化学変化であればむしろ歓迎すべきことなのでしょう。
なかなか難しいですけどね。
やはりカッコ良いとこ見せたいし・・・。