先日、早稲田松竹のエリックロメール特集を観にいく機会があって、70年代のフランス映画なんて全然接点が無かったので1度見てみることにしました。
「クレールの膝」と「モード家の一夜」の2本。
1番何が衝撃だったかと言うとフランス人の恋愛メンタリティー。
「クレールの膝」は結婚を控えて今までの火遊びを終わらせようとする男性が友人と称する女性の娘の膝をなんとかして撫で回そうとする話。
「モード家の一夜」の方はカトリックの男性と無神論者の女性が一晩、結婚とか信心とかセックスとかについて話続ける話。
これが監督の恋愛観なのかフランス人は全員そうなのかの議論は置いておいて、とにかく男女の「友達」と「恋人」の関係における距離の取り方が理解不能。
誰とでもチュッチュするし、元カノとやたらイチャイチャするし、母親に「僕に任せてください」とか言って娘を登山に誘ってそこでチュッチュするし、「僕の欲望が芽生えた」とかって言ってエロ話をやたら女性とするし、かといって相手の女性もそれを否定するわけでもないし・・。
おおらかと言ってしまえばおおらかなことこの上ない。
それがエリックロメールの美学なんだろうか・・・?
フランス人とはこうした人達なのだろうか・・・・?
これは6本の連作になっているらしく「六つの教訓話」というシリーズ作品で監督の長編デビュー作だそうです。結構昔の作品なんですが映像がリマスターを施してあって古臭い感じは一切しません。
ただ、登場する車たちがかなりの年代を感じさせます。
「モード家・・・」の主人公の男性が原付で走り去る女性を追いかけて街中を車で走り回るシーンがあるんですが、いやー車を見てるのが楽しかった。
当時のフランスは路駐が当たり前なんだろうか?シトロエンはやはりたくさん映ってました。SMと2CVね。
しかしどこが教訓だったのか?
最後まで観ても分からないまま。
おそらく(こういうのをセンシティブな話題って言うのかな?)監督は相当にすっけべな人物だと見当しました。
なぜなら全員最後までしないから。
特に「モード家・・・」の方なんてベッドに全裸の女性が寝っ転がってる脇でスーツを着た主人公の男性がひたすら会話をするというシーンが延々と続く・・・。
女性になったことが(残念ながら)ないのでそっちは分かりませんが、男性の性って一度すればその度に終わりがあります。そこですっけべが一旦終了する訳です。
しかしずっとしなければすっけべは気分をそのままずっと持続させることが出来る!
つまり監督は一時の快楽より持続を選んだということになります。
ずっとすっけべでいたかったんですね。
この映画が公開当時どれくらいの熱量でもってこの国に迎えられたのかはもう分かりません。
公開されたのが「クレールの膝」でいえば1970年。
日本では万博、よど号ハイジャック、光化学スモッグ、鼻血ブー(笑)、ウーマンリブなどが盛り上がった時ですね。
リアルタイムでこの映画を見た女性がいたら是非意見を聞いてみたいものです。
果たしてこのおおらかな恋愛観をどう受け取ったか?
衝撃は感じたのか?
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