邦題「向日葵を待ちながら」作曲、編曲、AKIRA
映像制作、Studio Sarusuberi(C)
まるで真夏の向日葵のようだった妻へ。
妻の死から1年と4ヶ月が経って、彼女がそばにいないことに段々と慣れてきました。
いないことに慣れていくということが忘れていくということと同義ではないんだなあとしみじみ感じまして、一人でいることに慣れていくということにようやく罪悪感を持たないでいられるようになりました。
最近までは慣れたくないあまりに無理やり記憶を呼び覚ましては自虐的に自分を虐めていたりしたんですが、徐々にそういうこともしなくなって平常心が戻ってきたように思います。
まあ、平常心と言っても元の自分に戻れるはずもなく胸にポッカリ空いた穴を自分の一部として認められるようになった、ってことなのでしょう。
妻を自宅で看取った後、彼女の葬式を執り行うにあたり何か記念碑的なものを残したく思って、妻の死の半年ほど前に書き上げた曲に妻の生きてきた時間の写真を張り付けて葬儀場で映像として流しました。
その時の曲の録音をそのまま作品として形にしたかったのですが、遺影が映り込んでいるような個人的ものではなく、もっと詩的なものにして残したいと思い立って作成した映像です。
自分はまだ幸運にも(幸運といって良いと思います)生きていますので、残された者の責務としてしっかり生命を味わおうと気合を入れなおしました。
真夏の向日葵みたいだった君へ!!