音の器

ずーっと長い間悩んできたことがあります。

演奏とは奏者個人の芸術的意識の発露なのか、それとも演奏とはただ単に曲を再現する行為なのか。

なんとなく答えはありました。

それは演奏する音楽の種類によって変化するものである、と。

例えばジャズのように即興演奏が主体であるような種類の音楽であれば自意識を開放しても許される。むしろそちらのほうが歓迎される。

逆にクラシックのような譜面を再現することが主目的であるような場合はそれにあらず。作曲者や指揮者の意思に従うことが良しとされる。

しかし、何をもって音楽の種類やジャンルを規定するのか?

その規定によっては演奏者の演奏の質まで変えなくてはならなくなります。

意識か、それとも再現か。

どちらを優先するべきか?

自分としてはそこに統一の見解が欲しかったのです。

しかも主観的なものではなく客体として見たときにも納得できるような、いわば理論が欲しかったんです。

 

で、答えです。

「音の器」になるべきである。

 

続く(笑)